レーニンの履歴 前半
1870年、ロシア帝国シンビルスク(現:ウリヤノフスク)で中流階級の教育者の家庭に生まれた。
1887年、皇帝暗殺計画に関与した兄が処刑されたのちに革命思想に染まり、 17歳頃
1893年にはサンクトペテルブルクに移り、マルクス主義活動家となったが、
1897年に扇動罪で逮捕され、シベリアの寒村での流刑に処された。 重罪で逮捕、流刑 27歳頃
刑期が終わると西ヨーロッパに移り、ロシア社会民主労働党の幹部として頭角を現したが、同党は1903年にレーニン派のボリシェヴィキとマルトフ派のメンシェヴィキに分裂した。1914年に勃発した第一次世界大戦については資本家による帝国主義戦争と定義し、戦争を全ヨーロッパ的なプロレタリア革命へと転化することを提唱した。1917年の二月革命で帝政が崩壊し、ロシア臨時政府が樹立されると、封印列車で帰国したレーニンはボリシェヴィキの指導者として反臨時政府運動を展開し、十月革命によって体制を転覆させ、自身が首班となるソビエト政権を樹立した。